手仕事の衰退と美意識
アプローチ1
気候、海の豊かさ、陸の豊かさなどが、悪化の一途を辿っている。南極の氷が溶けて海面が上昇し、小さな島々が姿を消してしまうのは、人間活動による化石燃料の使用や森林の減少などにより、大気中の温室効果ガスの濃度は急激に増加することが大きな原因といわれる。グローバル資本主義に席巻された世界で、短期的な経済的利潤を追求した弊害といえるだろう。そして手仕事の衰退も、同じ原因によっている。手仕事=手工業は、機械産業に比べて、エネルギーや資源の消費が圧倒的に少ないし、基本的に循環型なので廃棄物という概念がない。また、マハトマ・ガンディーがカディ運動で訴えたように、人の雇用を創出することができる。循環や日本において繊維産業の海外拠点化が進み、国内の工場やメーカーが衰退しつつ、海外の綿畑や縫製工場の劣悪な労働環境が明らかになることは、繊維産業が地球環境を破壊しているだけでなく、人間自身をも幸福にしていない事が往往にしてあることを意味する。手仕事を単なる懐古趣味ではなく、未来の人間と地球が抱える問題を解決する手段として考えるためには、産業革命(機械が発明され、仕事が「労働」となり、人件費の削減が求められる一連の歴史)を入念に振り返る必要を感じる。
アプローチ2
上記のようにグローバル資本主義に席巻された世界で、短期的な経済的利潤を追求した結果、自分たちの心に秘めた感性や感情を殺しながら生活し、環境のアフォーダンスにたいする感受性が衰えている。その結果、美について意識することが困難になっているのではないか。
何を美しいと感じるかという美の定義は非常に困難だが、たとえば、自然の造形(馬の動きの美しさや、山々の景色など)に美を見出すことは、太古から養われてきた人間の感覚である。その自然の美を写し取ろうという営みが、「造形」といわれるものの出発点となっている。その営みの技術、能力は、自然とダイレクトにつながっていないと養われない。よく見ること、見るだけでなく触ること、においを嗅ぐこと、生を共にすること...。なにかを描写する技術は、自分の能力(技術)の問題だけではなく、描く対象について心身全体で知ることで培われる。手仕事というものを、生き物全体の営みに人間が関わる技術としてとらえることはできないだろうか。
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