産業革命と手紡ぎ手織り木綿布の比較
人の手が幾重にも加えられてできた美しい布。産業革命と社会システムの変化によって、美しい布を生み出す環境が失われた。今回は、とくに産業革命の歴史を探りながら、手紡ぎ手織り手織りの木綿布と工業製品の布のを比較してみたい。
まず、工業の歴史を振り返る。
1. 家内制手工業
・生産者とその家族は、生産に必要な資本を直接所有している
2. 問屋制手工業
・(1)において富が蓄積されると、問屋商人がそれを設備投資に使い、原材料や道具を農民に貸し,でき上がった商品を買い取った。作業する場所は,農民のそれぞれの自宅。
3. 工場制手工業(マニファクチュア)(16世紀中頃から18世紀の60年代)
・工場をつくって労働者を集め、分業で生産を行う。
4. 工場機械制大工業(いわゆる産業革命)(18世紀後半〜)
・それまでの手による動力から、機械による動力へ。
・20世紀半ばからセンサーをとコンピューターを組み合わせることで、作動・確認・調整のすべてを機械が実行する「オートメーション」が可能となり、1980年代に急速に工場現場で実装される。(参考:安冨歩『一人ひとりが大事にされない社会構造とその変革』(「はらっぱ No.392」公益財団法人子ども情報研究センター)、2020年)
(1)から(2)の過程では、農業の合間に副業として行われた布作りが、主な収入手段に変化する。また、分業制によって生産性が求められる。よって、効率を重視する度合いが格段に増す。ただこの段階では、手紡ぎ手織りという工程自体は守られている。
(2)から(3)において、手織り機の効率化や、糸紡ぎや染色などの分業化が起きる。
(3)から(4)に以降したとき、手紡ぎ手織り工程の抜本的な変革が起きる。その変革を3つ挙げる。
1. 「紡績機」(1764年に発明)
ジェニー紡績機、アークライトの水力紡績、ミュール紡績機などの登場によって、手紡ぎが消える。これらの紡績機は、ワタに撚りを加えつつ繊維を引き延ばす「ドラフト」という作業が機械化される。また手紡ぎでは1回のドラフトで一気に求める番手(細さ)の糸にしていたが、紡績機では梳綿ののちドラフトを何回か繰り返して細い糸にする。
→ワタから糸にするときに現れていた、糸の太いー細い、撚りの強いー弱いの「手ならではのゆらぎ」が消える。
2. 「飛び杼」(1733年に発明)
杼を飛ばす行為が、紐を引くだけでできてしまう仕組みである。
→緯糸のテンションの「手ならではのゆらぎ」が消える。
3. 「動力機構による筬打ち・飛び杼・経糸送り」
・2.を発展して、投杼と筬打ち、経糸送りを連動させ、1つの動力で自動化させる。
→打ち込みの強弱によってできていた緯糸密度の「手ならではのゆらぎ」が消える。
以上の3つの大変革によって、手紡ぎ手織りは効率性の枠外に置かれ、機械紡績・自動織機による布の時代になった。
「手ならではのゆらぎ」は、不均一であることを望んではいないものの、手ならではの所作によって生じてしまうものである。材料や道具の使い方、手を施す時期、時間、力加減など様々な要素によって変化し、また作り手の力量によってもおおきく変化する。このゆらぎこそが、「手仕事の美しさ」となって布に宿る。手紡ぎ手織りの布には、手が自然と協調して作り上げていた精神性が宿る。
小さな布研究所で作る布は、完全な手紡ぎ手織り布を作ることは達成できていないが、「手ならではのゆらぎ」がなるべく消えないような生産工程を維持していきたい。
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