3月11日
2011年3月11日から10年。
当時学生だった私は、突然の災害になすすべもなかったと同時に、何もしないでいることもできなかった。
天災と同時に人災。
時として自然はおそろしい。それは過去の飢饉や水害などからも知ることができる。
しかし原発事故は、産業革命以降の自然と人間の関係の変化の末に起きた、現代ならではの災害なのだ。
そのことから目を背けずに、日々の生活を送ること。できるならば、どんな事実がこの災害を引き起こす要因になったのか、仔細に知ろうとすること。
自分には被災地に具体的ななにかをすることは、この10年間ほとんどできていない。
それは時としてとても申し訳ない気持ちになる。
しかし、具体的なことではなく、遠回りでよいから何かにつながること、とは日々思っている。あの時以来芽生えたその信念のようなものは、けっして忘れないようにしたい。日々の生活を営むことは、糸を少しづつ紡いでいくことと似ている。買えばすぐに手に入るものを、わざわざ時間をかけて手で作る。そこには身体が喜ぶ声があるし、現代を批判的に察知する力も養うことができるはずだ。
1日1日はかけがえのない日々であり、1つ1つの命はかけがえのない命である。1日1日を大切にして、また1年、また10年たったときにどんな想いでいるかを確認したい。
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